さすらいのひとり旅:西を目指して

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1999年3月5日~8日、卒業旅行

3月5日:京都から広島へ

 旅をするのに深い理由なんて要らない。見たことのない風景を見たいから、行ったことのない土地に行きたいから、たださすらいたいから、旅をする。たしかに僕はもうすぐ大学を卒業するし、去年の晩秋には恋人に振られもした。でも卒業旅行でも傷心旅行でもない、これはただの「ひとり旅」だ。
 「西に行こう」。心の赴くまま、僕はしばらくの間さすらうことにした。空が悲しそうな灰色をしていた。雨が今にも降り出しそうだった。 

 「青春18切符」という学生にとってはとてもありがたい切符がある。これは普通列車なら日本中の旅客鉄道全線が乗り放題になるというものだ。11500円。1日乗り放題を1回とカウントして全5回分。例えば一人旅なら5日間の放浪の旅が楽しめるし、2人連れだったら2日旅して1回あまる。5人グループなら日帰り旅行。こういう塩梅だ。何時間も鈍行に乗り続けるのは尻が痛くなるし、車窓から見える風景にもいい加減見飽きてくるし、時に会社や学校に向かう人達の塊にぶつかったりするしであまりろくな事がないが、まあ鈍行には鈍行の良さもある、はずだ。

 「青春18」を使って、自由気ままな旅をする。持ち物は、数日分の着替えと、文庫本とMD、そしてこの秋からの相棒であるノートパソコン。パソコンはもちろんこの一台しか持っていない。何故はじめからノートを買ったのかというと、もちろん一緒に放浪するためである。これから先も僕はいろんな所をぶらりと旅するだろう。そんなとき、旅の想いを素早く真空パックするためにこのノートを買ったのだ。僕はモバイラーと呼ばれるほどかっこいい御身分では全然ない。テレビCMがたれ流す、あのクールでスタイリッシュなモバイラー、あんな風にはなれないだろうし、別になりたくもない。僕はどっちかというと「いもバイラー」だ。
 その日その日行きたいところまで行き、降りたいところで降りる。だから幾度となく途中下車した。効率の点から言えば恐ろしく悪いには違いないが、時間に追われているわけでもないし、誰かとの約束もあるわけではない。予定は未定だ。実は今朝まで何処に行くかまったく決めていなかった。僕は元々予定に縛られるのが好きではないのだけど、それにしても今回は極端だ。

 まずは大阪を経由して姫路に向かった。京都駅の改札内のベーカリーショップでパンを3個ほど買う。あいにく大阪辺りまで車内はとても混雑していてやむなく僕は立つことになったのだが、はっきり言って半端じゃなく腹が減っていたので、さっき買ったパンを立ちながらむしゃむしゃ食べることにした。正直あまりエレガントな行為とは言えないが、まあ欲望を沈めることは難しいのだ。買ったパンの一つに「ミルククリーム」というなのパンがあったのだが、これがとんでもなく美味しかった。店では何気なくこれを選んで買ったのだけど、食べてみて「当たりだ」と思った。まずクリームが従来のクリームパンとは一線を画する、というよりもその常識を覆す。こんなクリームパンを僕は初めて食べた。この旨さを言葉で説明し伝えることは相当困難だと思うのだけど、普通のクリームでもなく、カスタードでもない、懐かしの「練乳」っぽい味とでも言おうか。それでいてくどくない。そういう感じだ。ああ、京都に帰ったらまた買いに行こう。
 ところで立ちながらばくばくパンを食べ、缶コーヒーを飲んでいたせいか、大阪辺りで早くも具合が悪くなってきた。酔う1歩手前のあの辛い感じだ。はたしてこんな状態で遥か西まで辿り着けるんだろうか?まあ行くしかない。

 京都、大阪そして神戸の手前にかけてはまさに景観のカオスだ。車窓の外は、あらゆる建物が息苦しそうにひしめき合っている。人一人入れるかどうかと言う隙間しかない家々。平地から山肌から至る所に建物がびっしりと建ち並ぶ姿。工場の煙突から吐き出される濁った息は空を悲しい色に染めている。

 姫路から上郡(かみごおり)へ行く。
 上郡。はっきり言ってしまえば全く知らなかったし、もしここを訪れることがなかったらこれからも僕は全く知ることなく一生を終えただろう。そういう場所だ。でも連絡待ちのために30分ほど時間を潰すこととなったホームで、僕は飽きることなく眼前に広がる風景を眺めていた。風景といっても何もない。少し傾斜のきつい山、どことなく懐かしい趣のある学校の校舎とグラウンド。今通ってきた道とこれから行く道には線路が細々と連なっている。でも、昔の人は皆こういう平和な世界でのどかに暮らしていたのだ。細胞分裂的に増殖する家々に覆われた現代の大地を、昔の人達には想像できただろうか?豊かであるが故に飢え、肥大化するが故に病んでいる現代人を。

 上郡に着くまで、僕は鈍行の中で何もせずに、ただ車窓から見える風景をぼーっと眺めていた。そうしていたかったのだ。本も読まなかったし、音楽も聴かなかった。

 上郡から岡山。そしてすぐさま広島行きの列車に飛び乗る。
 岡山を超えた辺りからのどかな田舎風景が広がるようになった。個人的に思ったのは、「山の形が僕の故郷とは全然違うな」ということだった。先の上郡もそうだけど、山の傾斜が総じてきつい。きついけど威圧感や圧迫感はない。「まんが・日本昔話」に出てくる、あの懐かしい山だ。

 7時15分頃、広島到着。列車を降りる時、僕は少しばかり興奮していた。実は広島は奥田民生が生まれ、そして育った街だ。そして奥田民生の大ファンである僕にとって、広島はいつか訪ね、心ゆくまで歩き回ってみたい街だった。そして今、まさにその夢が実現しようとしている。(続く)


p.s.
次はいよいよ広島編です!ハロー白島(跡)・広島市民球場・中国飯店(略して中飯)・皆実高校・宝塚映画館前の時計台・おにぎり屋むさし等々...これらの名前にピンときた人、あなたも相当な奥田民生ファンですねぇ。