悪態の多い料理店

 僕が頻繁に利用する食堂でのこと。盛りつけ係の殆どの人はすごくまじめに働いていて尊敬に値するのだが、ごくまれにそうでない人もいる。社会の常だ。彼ら、というよりおばさん達はぺちゃくちゃよく喋り、誰かへの悪態をついていることもある。

 ある日僕が料理を注文するために「すいませーん、ささみチーズフライ一つくださーい」とカウンターを挟んで向かいの盛りつけのおばさんに注文したのだが、喋っているばかりで全く反応がなかった。聞こえなかったのかな?と思って再び声をかけようとしたその時、「どがんっ!!」という音とともにささみチーズの乗った皿がカウンターに威勢良く置かれた。まるで元気なかけ声と全ての趣を取り除いた寿司屋だ。「...そんなに力が有り余ってるんなら運送屋にでもバイトに行けばいいのに」と内心僕は思ったがもちろんそんなことは言わない。それにしても、いくら夕飯時のために学生達で混雑していたからといって、この対応はちょっとなぁとさすがの僕も少々不快に思った。最初は「俺、なんか悪い事したかな」と僕の方が申し訳ない気になってしまったりもしたが、実はこのおばさん、かなり前からいろんな学生にこの問題を指摘されている人なのだ。こんな配膳をされた日には、飯もまずくなって誰かに文句も言いたくなるかも。

 イタリアではよい店の条件として、料理の味が良いのは勿論のこと、店の雰囲気も重要なポイントの一つだという。イタリアでは一番美味しいのはマンマ(お母さん)の作った飯と決まっている(マンマが勝手に決めている)から、ただ単にうまい物が食べたいだけなら自分の家で食べた方が早い、という考え方である。だから、リストランテ(レストラン)には、例えば親しい仲間と楽しい一時を過ごしたい時などに、リストランテでしか味わえない何か特別なものを求めてやってくる。それは、店員のさり気なくて気に障ることのない、しかし行き届いたサービスであったり、内装や食器のセンス、ちょっとお喋りな店長との楽しい会話だったりする。逆に言えば、そんな特別さが、料理をもっと美味しくしているとも言える。

 イタリアの至高のリストランテを「天国にあって可愛い天使のウエイトレスが優しく僕のお世話をしてくれる食堂」とするならば、その日僕が入った食堂は「薄暗い洞窟の中で山賊共に『オラ、早く食え』といびられながらいそいそ食べる食堂」だった。勿論、その日にそんな悪態を受けなかったらそこまで印象が悪くなることはないし、食後にコーヒーを飲もうと思って自動販売機のあるところへ行き、自販機の前で「あれ、おかしいな、コーヒーが出てこんぞ」と思ってよく見るとお金を入れるのを忘れていたりという「心ここにあらず」状態になったりはしない。勿論、料理なんてさっさと食べ終えて食堂を後にした。その食堂は最近赤字が続いていて苦戦しているようだけど、こういうところにも客足を遠ざける原因がある、ということをもっともっと自覚して欲しい。とここまで書くと、どの食堂かはこのHPの常連様にはバレてしまうかな。