19の遺言

 今日、23歳になった。

 ま、こういう中途半な歳だと、誕生日が来たからと言って別にそわそわするわけでもなく、いつも通り淡々と一日が過ぎて行くだけだ。何が変わるわけでもない。だって、誕生日の午前0時に、いきなりデスピサロのように変身したりしたら怖いっすよー。変化や成長は気付かぬうちに忍び寄ってきて、ずっと後で振り返ってみて、歩いた距離の果てしなさに気付くことの方が多い、と僕は思う。
 当然、誕生パーチーなんてものはなく、自分で自分にささやかな贈り物や食べ物をプレゼントするだけだ。ここ数年、この「自分に贈る」という行為が定着しつつある。19の時は眼鏡、二十歳はレスポール、21は本、22は西川特製カレーライス。うう、悲しい、虚しい。

 こんな風に、年を取るに連れて誕生日を迎えると言うことはだんだん「とほほ」な哀愁を帯びたものとなっていくと結構多くの人が感じているのではないかな?

 で、もう一つ、殆どの人が何かしらの思いを抱えるであろう誕生日が、ある。
 二十歳の誕生日だ。

 勿論それまでやこれからの誕生日と同様、その日を迎えたからと言って何かが決定的に変わるわけでもない。それでも僕は二十歳の誕生日を迎えるということに、何か特別な想いを抱かないわけには行かなかった。誕生日が近づくにつれて、僕はそれまでにもまして音楽を聴いたり本を読みあさるようになった。まるで、二十歳の僕に譲るための遺産を作るかのように。
 ひょっとしたら若人(わこうど、と読みますよ)の心...打算や先のことなど考えずに無邪気にガムシャラに物事に突き進んでいく心、悲しいことを悲しいことと感じられる心等々...が、二十歳の誕生日という国境を越えることによって失われてしまうんじゃないか、という恐怖感にも似た気持ちがあった。

 そんな気持ちからか、当時、二十歳を目前に控えた19歳の僕は「19歳の僕から二十歳の僕へ」という遺言状みたいな短い文章を書いている。故郷から遠く離れ京都という地で大学生活を送ることを旅と捉えていた僕は、時々「旅の記述」とでも言うべき日記(書かないときは全く書かないから日記とは呼べないけど)を付けるようになった。その中に、超こっぱずかしい「遺言状」も入っていたわけだ。
いやー、久々に読んでみたけどあまりに寒い内容だ。恥をさらすつもりであげてみます。原文そのままです。

19歳の僕から20歳の僕へ送る遺言

 二十歳まであと五日だ。結局僕はたいした成果をあげることなく立ち去るわけだけど、いろいろ学ぶことは多かったように思うんだ。それは教訓としてきっと君のこれからの人生の良い糧となってくれるだろうと思う。僕は君にそれを伝え、そして消えよう。

 君は基本的に同時に幾つもの作業をこなせる人間ではない。それをまず認めなさい。
 君は恋多き人だ。それはけっこう。だがしかし、君は生活の総てをそれに左右される傾向がある。
 君は物事に取り組む際、気が乗るまで相当の時間を要する。が、一度乗り出したら未知数の破壊力をもってして挑む。つまり、パワーをコントロールできないのだ。それを克服しなさい。

ひゃー、寒い寒い。さすが若人の心。
ま、ともかく、その時は僕なりになんとなく切ない想いを抱えていました。

 で、19歳の僕は本当に消えたのだろうか?
「いやー、わりぃわりぃ。なんかやり残したことがあるよーな気がして消えきれなかったさー」とかなんとかいって、まだ僕の中に居座っているような気がする。んもー。おまえを抱えて歩くのは重たくてやってらんねーよ。

 とか思いながらも、けっこう楽しく歩き続けているような気もする。

 願わくば、少年の心を持った大人になれることを。