自宅浪人

 初めての大学入試に失敗した後、僕が次年に向けて迷わず選んだ道は、自宅浪人だった。切望していたと言っていい。僕のような人間が予備校のシステムに順応しないであろうということは察しがついていたけど、それを抜きにしても、是が非でも一度は体験してみたかったのだ。

 そこは、喩えるなら宇宙空間のようだった。限りなく自由で僕は何処へでも飛んで行ける。でも、何かを見失った瞬間に僕は宇宙をクラゲのように漂い、闇へ消えていく。そんな空間での生活が、まさに宅浪生活なのだ。

 恐怖もあったけど、乗り越えられるという根拠レスな自信もあった。わくわくしてさえいた。この一年を生き抜けば、僕は僕自身を超えられる、と思ったのだ。

 実際の生活は、殆ど世捨て人みたいなもんだった。殆ど誰にも会わないし、毎日勉強して、ジョギングして、犬の散歩をして(そして、やっぱり楽器をいじくったりして)...という地味極まりない日々だ。家は共働きで、夜は僕が自分の部屋に篭ってしまうので、まじで一日の殆どを一人で過ごした。いや、犬のクロがいたか。勿論、たまに親しい友人が半ば心配して駆けつけて来てくれたり(感謝)、5月までは先に大学進学していた彼女との遠距離恋愛も続いてもいた。宇宙空間の中でも、その時はまだスペースシャトルと命綱で繋がっていたわけだ。

 生活自体は地味だったけど、すっごく密度の濃い日々だった。宅浪生活も夏を迎えた頃には少なくとも学力だけは昔の「俺」を遥かに超え、とんでもない地平まで辿り着いたことが手に取るように分かった。
 
 あとは、心をどうやって強くしていくか、ということだった。

 6月からは、命綱なしでの「宇宙遊泳」となってしまった。ふられたってことです。その彼女とは三年近く付き合ってきたので、さすがにこたえた。でも、三月までは歯を食いしばって頑張らなくてはならなかった。そのまま腐ってしまうことは簡単だけど、それをやった瞬間、宇宙の闇に吸い込まれるのは間違いなかったからだ。
 
 季節は疾風のように過ぎ去り、冬がやってきた。センター試験の季節だ。12月に僕は一つ年を取った。何年振りかで一人で老いた。クリスマスには自分に眼鏡をプレゼントした。ご褒美と思って、ちょびっと奮発した。街中に流れる音楽は去年とは違う響きに聞こえた。

 センター試験の休み時間中、ずっと小説を読んでいた。試験が終わって外に出ると、あたりはもう深い藍に覆われていて、空気が肌を切った。帰り道、僕はずっとウォークマンでエリック・クラプトンの『MTVアンプラグド』を聴いていた。

 くさるほど勉強してきたのだから、点数的にはとんでもなく良かった。でも、だからなんだってんだ?というのがその時の僕の気持ちだった。何点取ったから凄いとか、何処何処の大学に入ったから凄いっていう考え方には本当にうんざりしていた。

 そして自分の心の赴くままに、僕は京都という地にたどり着いた。

 宅浪時代で得たものはたくさんある。直接的には、学力、思考力、知識等々なのだろう。でも、それだけじゃないはずだ。音楽馬鹿で読書なんか全然しなかった僕が、本屋に通うようになり、徹夜をして貪り読むようになった。僕にとって誰が本当に大切な人達なのかということを気付かせてくれた。そういえば、体重も得た。

 心は、ちょっとだけ強くなったけど、その強さは新たな悲しさに打ち勝つことは出来ない。それに、どんなに強くなったところで、いつだって悲しい出来事は僕の一歩前を行っているのだろう。結局僕に出来る全ては、そこから時間をかけてでも立ち直り、また歩き出せるように情熱を保ち続けることだけだ。